What Can a Hippopotamus Be?

大学院で勉強しています。なんでもない、だからこその日常をつらつら記述しています。

どんな言葉を使えば届くのか

速報が流れたとき、あんまり驚かなかった。
驚かなかったけれど、何も手につかなかった。

どれほど、救われたんだろう。
ひとり都会に出て、心細くても、テレビを付けたら彼らがそこに、必ず傍にいてくれた。
おばかなすごろくも、パジャマパーティーも、画伯も、寂しがり屋の手品も、はみ出る今年の豊富も、それに嬉嬉として吠える柴犬も、なんでも美味しい釣り人も、それをなんでもかわいいという人も。かわいいのに素直になれなかった人もいたな。ダブルパーカーにマネキン丸パクリなんかもあったな。

彼らから、チームという哲学を学んだ。
彼らから、安心とは何かを学んだ。
彼らから、挑戦とは何かを学んだ。
彼らから、努力とは何かを学んだ。
彼らから、相手を想うことを学んだ。

会見、ただただかっこよかった。わたしには、彼らが静かな闘いをしているようにみえた。過去から今までの、何にも代えられない“5人”を誰にも傷つけられまい、触れられてたまるものか、という優しいナイフを携え闘っているようにみえた(1名は防弾ガラスを携えて)。
それは、親が子どもを護るような、先生が学生を護るような、そんな、間違いなく世界一、美しい闘い方だった。

なぜか、マイガールを聴いていた。
知らないうちに泣いていた。
そっと小さなぬくもり集めすぎだよ、あなたたち。
それでも、ありがとう、はまだ言わない。