What Can a Hippopotamus Be?

大学院で勉強しています。なんでもない、だからこその日常をつらつら記述しています。

うずく傷

「自分の中に生じている反応をとりあつかえない場合には、うずく傷のように、何日間も何ヵ月もさらには何年もの間、その看護師の中にとどまり続け、価値ある互いの関係を台無しにすることになるであろう/ウィーデンバック」

大学院では臨床での実践の振り返りをすることが多くて、というより、そのために来ているようなもの。その過程で、ウィーデンバックの述べている「うずく傷」に出くわすことが結構ある。このうずく傷に向き合う過程がなかなかやっかいなもので、そりゃ痛い。楽しいという感情で忘れかけてたおなかの痛みをまた思い出す感じだ。うずく傷を、違う感情でカバーして逃げ続けることのほうが簡単だけど、でも、今、自分自身で治しておかなければ、この先には進めないと4月から何度も向き合ってきた。少しずつ向き合って治して、向き合って治して、を繰り返すうちに、研究も少しずつ進んできたような気がする。
よかったと思うのは、結局治せるのは自分だけなんだけど、その自分はひとりではなかったということ。治すために一緒に悩んでくれる院生の仲間が居てくれる。こんなに心強いことはない。そしてこの過程が間違っていないと指示ではなくて支持してくれる先生がいること。踏ん張ろう。

まぁでも、うずく傷があってよかった。なければ、大学院に来た意味はあんまり見いだせていなかったかもしれない。なんていうオチ。笑